
江戸川台教会牧師 坂井一富
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年末の風物に除夜の鐘があります。亡くなる前日に洗礼を受けた中村草田男(なかむらくさたお)の俳句に「水甕に水も充てけり除夜の鐘」があります。百八の鐘は冬の季語です。
今年もいろいろなことがあった。忘れたいこともたくさんある。除夜の鐘は12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟んで寺院でつかれる鐘で人間の煩悩を除くのだそうです。全て忘れて来年もがんばろう、しっかりしなくては.。
(1)堅く立ちなさい。
今日の説教は「しっかりしなさい」ですが、全てを忘れて来年もがんばろうではないのです。
パウロがコリントの信徒へ書き送った手紙に「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。」とあります(1コリント16:13)。
しっかりしなさいとは、信仰によって堅く立ちなさい。片足で目をつぶって立っているようにぐらぐらするな、信仰によりしっかり踏みとどまり続けなさいということです。何への信仰か。律法ではない。キリストの福音、主イエス・キリストへの信仰によって。割礼ではない。キリストに結ばれる洗礼によって。
(2)日本の律法
5章1節はガラテヤの信徒への手紙の要です。キリスト者の自由について述べています。ガラテヤの教会に起きた異邦人への割礼要求に対する戦いから明らかにされた自由です。そして16世紀に始まった宗教改革の時、ルターは信仰義認の恵みとしてこの自由を強調しました。
確かに今はパウロやルターの時代ではありません。しかしわたしたちは日本的な律法の影響に無関係ではありません。イザヤ・ベンダサンは「日本教」と言いましたが、普段は隠れていますが時々現れてきます。
年末年始は国や地域あるいはご家庭でさまざまな行事があります。ほとんどのご家庭で行く正月三が日の初詣はどうでしょうか。
家族といっしょに神社や寺へ行くべきでしょうか。それとも神社仏閣の敷地に一歩でも入ったら福音がむなしいものになると拒むべきでしょうか。
キリストの福音に立たずにいると餅も食えないということになってしまいます。わたしがクリスチャンだと知らせるために行かないという選択ももちろんあります。しかし家族との交わりも大切ですね。これらはケースバイケースです。
わたしたちはキリストの福音による自由人です。イエス・キリストへの信仰により救われる希望に堅く立っています。しかも愛によって働く信仰です。家族との交わりも大切にするのです。
できればそうならないですむならとは思いますが、キリストゆえの苦しみを受けることもあるかもしれません。だからこそ福音に堅く立つ必要があります。
どのように振舞ったらよいか聖霊が最善の道をしめしてくださいます。家族との交わりを大切にしながらも、なおキリストを信じ従うクリスチャンだということを証しできるようにともに祈りましょう。
2009年12月27日の説教より