機関誌 71 of Itabashi Church

隣人と主に共に仕える

大井 満 牧師

第71号 2011年9月25日発行

「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
 わたしにしてくれたことなのである」

マタイによる福音書25章40節


☆ 熱い心と冷たい頭

 大学で社会福祉を学んでいた頃、良く聞いた「熱い心と冷たい頭」という言葉を、東日本大震災以降、しばしば思い出します。困っている人を見て、何とかしたい、何ができるだろうかと、必死になって祈り、考え、あるいは何をおいても駆けつけることは、「熱い心」に基づきます。それに対して、「いや、冷静に考えてみよう。ただ駆けつけるのではなく、現地のニーズをよく調べ、道路や、ライフラインの状況も調べて、安全や自分たちの水、食糧なども確保して、十分に準備して出かけよう」などと考えることが、「冷たい頭」です。

 皆さんは、「熱い心」派でしょうか、それとも「冷たい頭」派? もちろん、この言葉が両方のバランスの必要性を説いていることは、言うまでもありません


☆ 祝福される人の態度
 マタイによる福音書25章31節から46節では、イエス様が終わりの日の裁きについて語っておられます。冒頭に引用した40節は、裁き語られる祝福の言葉です。この人たちは、良い行いをしましたが、まったくそのことを意識していません。「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか」(37節)。

 それに対して、呪われる人たちは、自分たちの「良い行い」が認められないことに対して文句を言います。つまり、表面に見える行いが問題なのではなく、その背後にある動機が問われているのです。良いことをしていたとしても、助けを必要としている人を助けていたとしても、そのことを決して意識していない、神と隣人を愛することが普通に身に着いている、そんな態度の人を、神様は祝福してくださいます。


☆ 主への奉仕

 冒頭の聖句は、合同教会の東日本大震災のボランティア募集チラシに、毎回記載されているものです。ボランティアとは英語でvolunteerと書きますが、語源をたどってみると、ラテン語のvolo(ボロ、自由意志)で、この言葉から英語のwill(意志)が生まれたとも言われます。

 自由意志に基づく奉仕ですが、また同時にそれを誇ることなく、あくまでも仕える心で働くことでもあります。そして隣人に仕えているようであり、同時に主に仕えてもいるのです。